この酔っ払いの写真がこんなブレなくキレイに写るはずがない。写真はむしろ失敗を楽しむものなのか。デジタルはなぜこうも詰まらないのだろう。
ライカはライカでもデジタルが楽しくないのはなぜ?
なぜでしょう、どうしてでしょう。デジタルで撮ると、こんなにきれいに撮れて、こんなに詰まらないのは。
デジカメが楽しくないのナゼ
ライカM10で、長らくの憧れだったデジタル・ライカの世界にデビューしてカレコレ5年以上。M10からM10Mに機材が変わって、改めて思うのは、「なぜ僕はデジタル・ライカを楽しめていないのだろう」という個人的なお話。
写り過ぎることの功罪
楽しくないと感じる一番の理由は・・・多分簡単過ぎて、でも実は全然簡単じゃないことかもしれません。写るのはよく写る、でも仕上げるのは超難しいという。
写ってくれるだけで満足の人間にデジタルは過ぎたるもの
そもそも僕は「仕上げる」とか「作品」とか理解もできず、技術も知らず、そもそも完成形のイメージもなく。そんな人間にとって最低限大事なことは写っていること。
デジタルライカは、この「最低限写っている」を楽々とクリアしてきます。写っていたら(技術とビジョンがない人間には)それでオシマイ。これ以上どうすればいいのか。知らんがな(´_ゝ`)
撮れているだけで満足している人間に、デジタルは正直にベストアンサーを提供し過ぎてくれるのかもしれません。
いやいや、ライカさん、この酔っ払いにこんなピントも露出も合う写真撮れませんぜw あなた、出来過ぎなカメラですよwww
デジタルライカがあることに感謝しながら
とは言いつつ、もし今手元にデジタルライカがなく、フィルムライカしかなかったら、それはそれで困る。きっとデジタルライカを欲することでしょう。要は高望みの「ないものねだり」であります。
M10Mがあることは無上の喜び
デジタルライカに対して、「詰まらない」とまでの分不相応の感想を抱けたのは、イチにもニにもM10モノクロームのおかげです。「僕はフィルムの手間暇と下手くそっぷりが好き」ということは、M10Mがなければ分かりませんでした。
もちろん、人によってデジタルが良いか(合うか)、フィルムが良いか(合うか)はそれぞれでありましょう。ただ僕にとって、M10Mは過ぎたるもので、それが今手元にあることに感謝してもし尽せないということであります。
詰まらない、でも手放せないし手放すつもりないし、むしろ手元にあることに感謝しかない。仕事以外でデジタルカメラ、しかもモノクロしか撮れないデジタルカメラを使うのは、なかなか考えさせるものがありましたですよ。
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